妙源寺には20件55躯の仏像があり、それらは室町時代後期制作のものと、江戸時代制作のものに大別できます。

本堂須弥壇に安置されている十界の本尊(日蓮宗の信仰の中心)は、「法華経」というお経に説かれている仏様たちを、木彫り像として表したもので、江戸時代前初期の作とされています。
日蓮大聖人を中心として、上段では「南無妙法蓮華経」と書かれた題目宝塔を、その正しさを示す釈迦如来様(お釈迦様)と多宝如来様が囲まれます。(如来とは、仏様のなかでも最上位の、悟りを完成させた方のことです)
その両脇には、末法の世(正しい信仰が失われた時代)において仏法を護持する上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩様がいらっしゃいます。(菩薩とは、人々の救済を役目とされる仏様のことです)
中段と下段の四隅では、持国天・増長天・広目天・多聞天の四天王様が、東西南北から仏法を守護されています。(天王とは、天上界にいらっしゃるインド神話由来の神様です)
その内側には、「生死即涅槃」(苦悩と安らぎは、どちらか片方が欠けても成り立たない、ということ)を表す不動明王様と、「煩悩即菩提」(煩悩と悟りは、どちらか片方が欠けても成り立たない、ということ)を表す愛染明王様が座されます。(明王とは、仏教を人々に広められる、インド神話由来の神様です)
日蓮大聖人の両脇には、釈迦如来の脇侍としてその救済活動を援助される普賢・文殊の二菩薩様がいらっしゃいます。

右脇壇に安置されている三十番神様と三光天子様は、室町時代後期から江戸時代前期にかけての、制作時期や意匠の異なるものが混在していました。
三十番神様は、1か月間を毎日交代で、法華経を守護されています。
三十番神様のうち四躯は天文5年(1536年)の作であり、これは現在調査されている限りでは泉州最古の像でした。
三光天子様は明星天子様を中尊とし、日天子様・月天子様を両脇侍として、我々を守護されています。
明星天子様は通常は如来であるところ、妙源寺の明星天子様は中国官人の姿をされており、珍しい例となっています。

同じく右脇壇に、大黒天様とともに安置されている鬼子母神様は、室町時代後期の作です。
鬼子母神様は、元は他人の子を攫い、殺して食べる悪鬼でしたが、仏様に出会って改心し、現在は安産・保育の神として信仰されています。
鬼子母神様とともに祀られている大黒天様も、豊穣の神として親しまれています。

本堂向かって左の外陣には、北極星の神格化であられ、古くから民間信仰を集める妙見菩薩様が安置されています。
像は江戸時代後期の仏師、林如水の作であり、その胎内には妙法蓮華経1巻が納入されていると思われます。

7枚の板を継いで水墨で描かれた龍図である。本堂の仏壇の前方に天井板の一部として、龍の顔が玄関を向くような位置で長らく嵌められていた。本作の来歴や絵師については未詳である。この度の改築(管理者注:平成13年から平成18年まで)に際して取りはずされた。
龍の起源は古代の中国にあるとされる。大地を形作り、衣食を左右する事象として、雲を起こし、雨を降らせる自然現象に関わる性格を備えた霊獣と見なされる。殷(商)や周時代の青銅器などに文様として見ることができる。漢時代に、鱗のある長い胴と背びれ、前足に付いた翼、二本の爪をもつなど、動物の部位を集めて造形され、四神(青龍、白虎、朱雀、玄武)の一つとして壁画や銅鏡などにも表されるようになった。唐時代以降に水墨画の画題として流行し、龍と虎を組み合わせた龍虎図などが描かれた。また陶磁器の図柄にも応用され、神聖な動物として広まった。
本作は、一匹の龍の全身が湧き上がる雲と共に構図される。画面全体に付着した積年の煤や埃が拭いさられており、祈りの空間が清潔に保たれてきた経緯を知ることができるが、逆に作品として墨龍図を見た場合は、本来の墨色はかなり薄れてしまっている、しかし構図や筆のタッチがすっかり損なわれるほどではなく、当初本作が持っていた絵としての特徴を推測することはできる。
太くて長い角を持ち、牙のある口をわずかに開いて、大きく見開いた目で前方に睨みをきかせる。手の一つは三本の爪で宝珠をしっかりと掴み、他の手は空を掴むかのように大きく開くもののほか、風を駆るかのように爪を立てているものもある。龍の全身は雲によって見え隠れしているため定かでないが、背びれを付けた長い胴をくねらせながら宙を漂い、左右の髭が上方になびく有様からは、今まさに下降しようとするかのような様相を呈していることがわかる。太い輪郭で構成された龍は堂々としており、墨で濃淡を付けた雲は密度や風の流れをも想像させる。龍図としては定型を踏襲したものであり、制作は江戸時代を遡ることはあるまいが、迫力ある作域を示している。
改築時の文化財調査に際しての、絵画史研究者の方からのコメント